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成政トラスト吟醸の会

日本で初めて基金による酒造りを始めたのが成政トラスト吟醸の会です。

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成政トラスト吟醸の会の成り立ち

酒蔵トラスト開始前後、「人が集まること」の不思議

 

谷本 亙

 今でこそ事業活動を支援する民間ファンドはクラウドファンド(クラファン)として、説明が要らない。当時、寺島酒店 店主の寺島圭吾 氏が私に提案したのは、自然保護活動のため知床半島で進められた、ナショナルトラストのようなものを酒蔵でできないか。基金を出してもらった人に酒を配布する。新酒、ひやおろし、熟成の3回でそれを飲む会もやればいい。

 不思議なのは、この時期に成政酒造(以下酒蔵)に引き付けられるように人が集ってきたことである。特に引き寄せたとも思えず、あとでたどるとそれがわかる。

私も寺島さんもそして、ここに集まってくるトラスト創成時期の人にいくつかの流れがあり、混然と一体になって酒蔵に集まったのがトラスト会である。その前、私はおやじと酒蔵を回っていて、私のいとこの西野尚一 氏と役場の西村勝三 氏を元にして、酒蔵の地元の常本健治 氏を知り、なんとなく成政酒造に伺っていた。トラスト前年に吟醸酒を再度造ってみたらとの提案に山田和子 社長、松谷政治 杜氏が応えてくれたのか、1タンクが仕込まれていた。以前造ったのは特級酒に混ぜられてしまうなど、当時は単独で販売することは難しかった時代で、吟醸酒が当たり前に飲まれる時代とは違う。

 再現することはもちろん商品にもならない。どうすればと思案していたところだ。そこに酒蔵を訪ねていた寺島 氏と偶然会った。その時に云われたのが、最初の言葉と提案である。半信半疑どころか、そんなことが可能なのかもわからないまま、「トラスト」なる仕組みと「酒が配布」されることで、吟醸酒が造れることを社長と杜氏に提案して見ることになった。日の前から常本 氏、高原正和 氏、湯浅暁憲 氏はじめ地元舘の成人グループがあり、医王トピア推進協議会が発足し、資源としての酒蔵の価値について議論していた。それが昭和61年に入り3月に前年仕込んだ吟醸酒に手ごたえを感じていたのもあり、寺島 氏と採算点の見込みや細かい段取りを検討した。さらに1口1万円で50口あれば成立するというトラストシステムである。

 酒蔵でもとりあえずやってみればと決断(本当にどう思われたかは不明・笑)してもらって、私が知り合いの新聞記者に出してもらった。私は金沢市のフードピア例会で、また寺島 氏は富山市で酒販店のまわりの関係者に話をしたのである。公表されてからは大反響で口数は50口をはるかに越えて250人集まりスタート。酒もまだ無いのにスタート時の発会するときの懇親会に集まったのが、酒蔵舘のグループ、福光役場関係者、福光町在のファン、近郷、金沢市から富山市から。後に真酒亭を開設する村田千晴 氏は市場でアルバイト中か、疲れて飲んだらそのまま泊まってしまうなど、とにかく集まった。

 

 大吟醸「なりまさ」は題字を金沢市から北 充子 氏が書いてくれたのが今も使われている。その後は世話人会として関わるコアのメンバーがここから出てきた。開吟祭や各種イベントも随時開催、また各地との交流活動も活発になってきた。トラスト会実務については現社長の喜代美 氏、さらにその知り合い松村秀和 氏も事務局に加わった。農業関係ではその後に会長お願いした加藤昭一 氏など農業との関りも出てきた。また、酒蔵環境研究会のモデル事業として酒蔵トラストは全国に広がり、寺島 氏の紹介で富山県コロンブス計画でも中核メンバーとして活動した。さらに、トラストサミットの開催にもつながる。コラムニストとして後年有名になる勝谷誠彦 氏は早い時期からたびたび来訪し、どこの講演でもトラストを話題にしてくれていた。酒蔵では古い酒蔵を全面改築し、関係者の集まる場も設けられた。その年の吟醸酒が全国新酒鑑評会で金賞を受賞。その後は販売にも寄与しつつ、地元にちなむ、さらにトラストの交流から生まれた商品が次々と出てきたのである。

 酒蔵の在り方は酒蔵が維持発展するための業界のモデルとして酒造中央会の事業や論文でも取り上げられている。酒の下の平等を謳いつつ、吟醸酒に引き寄せられるように人が集まってきた。知り合いが、知り合いを呼び、みんなの手弁当の参画で今も続けられてきた。

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